大人が読むべきムーミン

 

ムーミンパパの思い出があまりに秀逸すぎたのでまだ途中にもかかわらず、このタイミングで一筆執ってみた次第です。


いつかブログをやってみようと思いつつ、怠慢してしまっていたのだが、趣味の本読みの延長で、せっかくなら自分が好きなことなどを述べると同時に人に勧めて気に入ってくれたらなと思って重い腰をあげ漸くはじめてみました。

 

そのブログを書くきっかけを与えてくれたムーミンたち、実はめちゃくちゃに口が悪い。

こんなかわいい顔をしていながら「シラミのたまごめ!」「死んだ豚の昼寝の夢みたいなやつだ」などと平気な顔をして言う。

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(虚無的な表情もかわいいですね)

 

わたしは性根が腐ってるので、ムーミンたちがあまりに現実的でなく豪快な夢想家たちで、

かわいい顔をしてゴリゴリに自己中心的でありながら、そのくせ言ってることに何一つ間違いがなく自分に対して絶大な信頼を寄せているところにとても惹かれているわけです。

 

中でも、ムーミンシリーズ4作目に当たる今作、『ムーミンパパの思い出』

ムーミンパパが自分の生い立ちから今に至るまでを思い出しながら(時に話をめちゃめちゃ盛ったりしながら)綴った話で構成されているこの話がバリオモロなんです。f:id:mmpalf:20190716172638j:image

 

なんで4作目からわざわざ紹介してるのかというと、金曜ロードショーではターミネーターとかバイオハザードとかよく3話放送して翌週1話流したりして順番まじで謎なんですけどみたいなそんな感じです。(わけわからん)

 

とにかく、清々しいまでに人(というかムーミン谷の生き物)を軽んじてる様子は、「あ、こんな簡単な気持ちで生きてていいんだ…」思わせてくれるので小説の内容を一部抜粋、気づきを箇条書きにして紹介します。

 

☑︎恩義なんか捨てろ

実はその昔、捨て子だったパパ。捨て置かれた先はヘムレンさん経営するみなしごホーム。

おじぎをするときは尻尾を45度に立てろとか

5時には夕飯を食えだとか、そういう細かい

規則でがんじがらめなので、あまりの窮屈さに脱獄を決することに。

道中フレドリクソンとスナフキンのパパ(ヨクサル)やスニフのパパでフレドリクソンの甥(ロッドユール)に出逢い、船旅に出て、その道中で、モラン(悲しき化け物)に食われそうになった育ての親、ヘムレンさんを助けたムーミンパパたち

 

「またモランが戻ってくるといいが」

「そうでなけりゃ、モランじゃなくてもヘムレンを食べてしまってくれるものがくるといい。」 などと言う。

 

なんたる非情。 しつこくムーミンパパたちの世話を焼き続けるヘムレンさんがウザすぎていっそ化け物に食われてしまうことを願っている。 自分の手は下さず、不慮の事故での存在の消滅を願うとかバリ怖い。地獄先生ぬーべーのブキミちゃんバリにトラウマ。本当に恐ろしいのは人の心なのかよ。

そしてヨクサルに至っては「何しでかすか分からない、あのババア」呼ばわり。 いっそ清々しい。

結局そのヘムレンさんはみなしごホームのとは別のヘムレンさんなのですが、もはや彼等にとってはそんなことはどうでもよくて目の上のたんこぶ、モランのクソ餌になってほしい存在。

ヘムル一族は仕切りたがりの世話焼きたがりなので、イージーカムイージーゴー精神の彼等と気が合わないのはしょうがないんですけど、ここまで言う?

 

その証拠に、海辺で出会ったニブリング(吸盤があって普段は大人しいけどやたらに鼻が大きいとその鼻を噛みちぎる習性があるヤツ)に連れ去られたヘムレンさんをただ静観しており、結局助けるのに間に合わなかっただのなんだの口答えをして、その後、優雅に濃いめのコーヒーをキメている。

肝っ玉が座りすぎている。

人にしてもらった優しさなんて結局自己満足の独りよがりなのでは?恩義とか忠義とか感じなくてもいい気がしてきました。

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(※1番左側フレドリクソン、ムーミンの隣がロッドユール、1番右側ヨクサル)

 

☑︎無鉄砲さと無計画さが鬼

川を流れるままに出た一行ですが、気づいたら

大海に出ていました。そもそも羅針盤とかそんなものを持ち合わせていないのだから、いま自分たちがどこを彷徨ってるのかさえ知らないし、そんなことはどうでもいいらしい。

怠慢の権化、ヨクサルなんか

「どこへ行こうとぼくの知ったこっちゃないさ。じゃ、おやすみ」

などとのたまっている。テメェ自身が乗る船がどこへたどり着こうともはやどうでも良い、睡眠の方が大事なんですね。なぜ?

そもそもこの船の舵を切るのはフレドリクソンとムーミンパパぐらいなもんで、ロッドユールは一応飯係、掃除係(わりとパシリ)を担っているのですが、ヨクサルなんかただ惰眠を貪っているだけ。

さすがのムーミンパパも小説の中でヨクサルに苛立っているのですが、それをフレドリクソンに相談したところ

「ヨクサルのほうが案外いろいろと気を使っているのかもしれないよ」

などと肩を持っている。そんなわけねぇだろ、寝てるだけなんだから。わたしだったらヨクサルのこと、ぶん殴って荒波の藻屑にしてた。

 

とにかく一行が海で繰り広げる数多の冒険の数々は、計画的であればきっと経験できなかっただろうと思います。

冒険大好きだった子供時代のことが懐かしく思えてきました、あの頃の心って大人になっても覚えていたいですよね。

 

 

☑︎自分を信じきる強さと他を騙す狡猾さ

文中にはよく、ムーミンパパが自分のことを

才能に溢れた勇敢なる偉大な存在だと述べているのですが、(例:「ぼくは特別な星の元に生まれた、ひとりぼっちの避難民」など)

しきりに自分を褒めたがり自分の可能性を信じて疑わないその精神は、ナルシストとはまた違う気がします。

行動が伴っての根拠に満ちた自信とは、自分の行く先を照らす光なのでは…。まず自分を信じなくて誰が自分を信じるだろうか。

他人は他人、自分は自分。

 

あとここで語りたいのは他を騙す狡猾さについてですが、船旅に出る前に草地に置いていた船をどうやって川まで運んだかというと、ムーミンたちが馬鹿でかい竜のエドワードに、川の砂は柔らかくて最高だとかなんとか唆して、川に勢いよく入ってもらったその余波で溢れた水に乗って川に出るという魂胆でそれは実際とてもうまくいったのですが、酷いのは実はその川の砂底はめちゃめちゃ硬いしザラザラしていて痛いということ。

他者に平気で嘘をついて自分の目的を遂行しようとする、そういうずる賢さもたまには必要なのかもしれないですね、めちゃ迷惑だけど。

 

余談だが、人間怖いなと思ったのは、某フリマアプリでやり取りしていた人物に「発想が遅れてすいません」と非礼を詫びたところ、「ぜんぜん気にしないでください!お待ちしております!」と好感の持てる返事を寄越したにもかかわらず、受け取りの段階で「発想が遅すぎる、クソ」みたいな感想とともに星1の評価を投げて寄越してこられたことがあります。

もはや同一人物とは思えないほどの豹変ぶりに、何か他のものに取り憑かれたとしか考えられないのですがそれ以来そのアプリを使うたびに裏では人がどう思ってるか分からないなと疑心暗鬼を抱くようになったので、後遺症ヤバいです。

 

色々語ってきましたが、いろんな気づきをムーミンから得ることが多いので、実はこれは大人が読むべき本なのではと思っています。

訳者によって意味合いも結構変わってくるのが洋書の味ではありますが、こういった風刺的なことをかわいいイラスト入りで読める小説って貴重だなあと思うので是非いろんな人に読んでみていただきたいです。